昨日のブログに引き続き、愛について考えていました。
感情のバイオリズムでいうと、私は今きっと「谷ゾーン」にいます。
こんな時は過去のことやマイナス感情にどっぷり浸かって、自分と対話をすることがとても有意義です。
これまで私は、
「お互いを理解しあえるパートナーと一緒にいたい」
「ずっと憧れていた地に住みたい」
という思いで準備を重ねてきて、今にいたるわけですが、いざそれが叶ってしまうと、ふと虚無感に襲われるのです。

これは今回だけではなく、いつもそうです。
「夢」って叶えようとしている最中がいちばんエキサイティングで楽しくって、叶った後は気が抜けてしまうんです。
そんな経験ないでしょうか?
でも幸せってそんなものなのかもしれません。幸せってある意味退屈なんです。
なぜなら、そこが「安心」の境地だから。
安心って、言い換えれば退屈ですね?
ぼーっとしていても存在できているのだから…。
せっかく願っていた「安心」を手に入れたのに、また刺激を求めるなんて愚かなことです。
多分わたしはそれを繰り返してきました。
「どこかにもっと別の何かがあるのではないか」
「心の底から震える何かがまだ他にもあるのではないか」
「自分にはもっと何かできることがあるのではないか」

ないものねだりなだけです。
「夢」を見ている時間が一番たのしいから、また新たな夢を探してさまよいだすのです。
幸せはとっくにそこにあるのに、「ない」と言い出す。
なぜそんなことをするのかって?
きっと「退屈」だからでしょう。
目の前にある「幸せ」に満足しないで新たな刺激を求める…もうそんな愚かなことはやめにします。
先日のぎっくり腰疑惑のショックや、もともと体が丈夫ではないこと、そして去年あたりから突然感じ始めた”年齢的な体の衰え”から、精神的ではなく肉体的にも自分と向き合うことが増えました。
20代のころは、世界中旅していろんなもの見たい!と思っていたけれど、今は別にいいです。
自分の大好きなフランスと、日本だけでいい。
(近場のヨーロッパには、たまに行きたいけど…ハハ)
年を重ねて、いろんなことを経験してきた過程の中で、「厳選」されたのです。
自分の終着駅というか、「こういう風に生きたいな」っていう思いが。
20代の頃はそれを探すために、いろんな経験をしていろんな感情を味わうことが、”やるべきこと”なのかもしれません。
30代はその次の段階なのかなと思います。たくさんの荷物の中から、次の場所へ持って行くものを厳選するような…。
きっと「どうしても持って行きたい!」というような大したものは、あまりないはずです。
そうやって次の段階に進む時に、心はほぼ”すっぽんぽん”で、人生という旅がすこし心もとない…。
そんな時にかけがえのないものになってくれるのが、パートナーなのかもしれません。
私は数年前に離婚歴があり、しばらくは「もう一人でいいや」と気楽に生きていました。
でも、ある日ふっと、ものすごく大きな「孤独感」に襲われたのです。
30何年生きてきて、初めての感覚でした。


…いまパートナーが毎日一緒にいてくれる状況で、二人で生きて行く未来を想像していると、自然と意欲が湧いてくるし、頑張れる気持ちになります。
だからパートナーの存在って本当に大事です。
自分と似ている部分もあれば、正反対の部分もあったりして、「二人でひとつ」。
二人いるからバランスが取れる。
なんだかロマンチックだけれど、そんなパートナーシップを築いていくにはやはり物理的な「時間」が必要だし、コミュニケーションをとってお互いを理解しようとし続けることが不可欠です。
だから私の夢は叶ったようで、実は、「まだぜんぜん、始まったばかり」とも言えます。
こんなふうにして30代なかばになってようやく、「足元」を固める重要性がわかってきました。(ちょっとふわふわし過ぎていたな〜自分。)
でもそんな自分も自分なので、だからこその今があるので、まるごと受け止めて進んでいこうと思う自分なのでした。
これって”アラサーあるある”なのかしら?
私みたいにふわふわしすぎてきた人はこれから足元固めても良いかもしれないし、
これまで足元固めるのに頑張ってきた人は、すこしふわふわしてみても良いかもしれないですネ。
なにしろ30代は、自由ですからね!
自分を存分に愛して、パートナーにも同じように愛されてくださいね。
私は日本の同年代の女性を応援しています。