頑張りすぎちゃうの、痛いほどよく分かります。
人に合わせすぎちゃうのも、泣きたいほどよく分かります。
最近ようやくわかってきました。
頑張りすぎも、合わせすぎも、

と。
頑張りすぎはただのエゴだし、自分勝手だし、
合わせすぎはただの逃げです。自分と向き合うことからの。
「頑張りすぎは迷惑ちゃん」としたのは、頑張りすぎる人にほど、「迷惑」という言葉がズーンとくると思ったから。迷惑をかけちゃいけない・かけたくないって、誰よりも思っているのが頑張りすぎちゃんだから。
頑張りすぎちゃう人、合わせすぎちゃう人、見ていてすぐわかるようになりました。
私自身が少し前まで極度のそれだったからというのもあるし、10年以上の付き合いがあるような友人はけっこうそのタイプが多い。
逆に、最近出会う人はそうでないタイプばかりになってきました。奔放で人に合わせられない人ばかり。それはそれで疲れることもあるけれど、後味がわるくない。
(人というより、時代の流れなのかもしれませんが。みんな”我慢”がしんどくなっているように感じます。)
本来は人は人に合わせるのが不自然なはずなのだけれど、環境によって自信をなくしてしまったり、自分自身と向き合う時間が少ないと、
「自分がどうしたいのか?」
「自分はどう思っているのか?」
がわからなくなってくることがないですか?
だからそういう人といると”摑みどころ”がなかったり、”何を考えているのかわからない”だったりして、
いろいろと気を回すためにどっと疲れるのです。
そして当の本人はそれ以上に疲れるでしょう(もしかしたら無意識かもしれないけれど)。
頑張りすぎて限界まで行ってどうにも首が回らなくなって
「ギブアップ!」
となるまで気付かないため、周りはとっても振り回される。
ちょっとでもヘルプ信号を出してくれれば周りの人は手伝う気があったりするのですが、そのヘルプ信号すら、頑張りすぎている人はみずからシャットダウンしてしまうのです。
もしくはある時急に決壊して、我慢していたものがどーっと溢れ出してくる。
結果、誰もハッピーにならない。いろいろオジャンになってしまう。
頑張りすぎていた本人が潰れるのを見るのは、とってもしんどいものです。
私自身が長い間そうだったから分かってきましたが、こういうタイプの人は、
自分以外を信じていない
のだと思います。
大事に思う人もいるし、頼ってる人もいるし、安心感もあるけれど、
ある時ふっとおとずれる虚無感
があったりします。
その原因は、たいていの場合、過去の傷です。
もともととても感じやすい性格だったりすることもありますが、
その上、とても繊細すぎる幼少期などに周りの大人から”何らかの拒絶””存在の否定”をされると、
それ以降、人というか世の中を信じなくなるように思います。
だからどんなに幸せなことがあったり、自分を大事にしてくれる人が現れたりしても、
と考えてしまったりします。
「どうせ私はひとりなんだから、また傷つくのは嫌だから、ひとりでやるしかない」
と心の中で勝手に孤立します。
もちろんこんな経験は誰にだってあることなのでしょうが、特にその影響が後に残りやすい人もいます。
根が真面目だからこそ、一度決めた「自分と自分以外との関わり方」はなかなか変えられなかったりします。
そして人のせいにもできないタチだから、逃げ場がないのです。
周りから自分を守るためにバリアを張ってしまう人はずっとバリアを張ってしまうし、
自分しか信じられない人はずっと自分でなんとかしようと頑張り過ぎてしまいます。
しかし私も含め、たぶんこのブログを読んでくれている人はアラサーやアラフォーだと思います。
この年代になったら、自分の「好き・嫌い」「気持ちいい・気持ち悪い」ぐらいはかなり分かってきています。
頑張り過ぎて空回ったり、むしろ周りに迷惑をかけてしまったりした経験もあるだろうし、自分の性格やキャパシティも分かってきます。
「むやみやたらに頑張れば良いということではない!」というのも分かっているはずです。
「助けを求めたら助けてもらえた、ひとりじゃなかった」という経験だって、記憶を掘り起こせばいくらでもあるはずです。
だから、ちょっと考えれば判断できるようにしておきたい。
無理して自分そのものを捻じ曲げるのは、もうやめにしましょう。
そんなことしてたら、すぐに老けこんでしまいます。
一方で、”自分を偽っていない人”は、一緒にいてすご〜く楽なのです。
こういう女性は本当にモテます。
のびのびしている人のそばにいると、一緒にいる人も自然とのびのびできるからです。
こういう”のびのび”ができるようになるには、ある程度の人生経験が必要だと思う。
まさにしゃかりき頑張ってきて「最近疲れてきたな…」ってくらいのアラサー女性こそ、頑張りすぎを”くるっと”反転して、”のびのびぱっかーん”できてしまえる。
そして”頑張りすぎてしまっていた”という過去から、今まさに頑張り過ぎている人の気持ちも痛いほど理解することができる。
それはもう、異性にも同性にも好かれて当たり前なのです。
頑張りすぎない・合わせすぎないのポイントは、
どんなにささいなことでも、自分と相談すること
たとえば
明日の飲み会、ほんとは行きたくないんだよな〜とか、
でも行かないと誘われなくなるかもな〜とか
みんなにどう見られるかな〜とか
「みんな」や「こうあるべき」、「こうしておいた方がいいだろう」という考えはもう捨てましょう。
自分はどうしたいの?だけでいい。
行きたいの?行きたくないの?
したいの?したくないの?
私はどう思うの?なにを感じている?
まずはそういう小さなところから、自分の声を聞いてみてほしいと思います。
頑張り過ぎのアラサーさん、アラフォーさんへ。