数日間にわたって、マリッジブルーのことを書いてきました。
結局のところ、マリッジブルーというのは「自分とパートナー」の問題です。
たとえ相手の家族とうまくいかないとしても、認められないとしても、「当人同士」が深く繋がっていれば何も問題はないわけです。
でももしパートナーが”自分よりもパートナーの家族優先”だったり、自分が”パートナーよりも自分の家族優先”だったりすると、問題が生じるのかなと思います。
あとよくあるのはきっと、”体面”ですね。社会的にどうとか考えることは、パートナーのこと全く見てあげていない。そんなの、うまくいかせることの方が難しそうに思います。
これまでの家庭・環境を卒業して、パートナーと新しい家庭・環境をつくるのですから、当人同士がまず信頼しあっていないとどうにもならんわけです。
現に私は結婚したとたん、それまでよく遊んでいた友達グループからあまり誘われなくなったり、勤め先の飲み会では「早く帰った方がいいんじゃない」「ご飯つくらなくていいの?」と言われたり、仲良くしていた男友達はみんな、さーっと離れて行きました。女友達とも距離ができたなぁ…。
結婚したとたん、急に「孤独」を感じました。自分というものが他の何かに変わってしまったかのようでした。
そのうえ私は相手の家族に気を使いまくっていたし、自分の家族にも気を使いまくっていました。「期待に応えなきゃ!」というのもあったし、「良い妻にならなきゃ!」というプレッシャーがありました。
でもそれって、一体だれのためにやっていたのか、今となっては分かりません。
誰かにそうしろと言われたわけでもないし、そうしていない時に怒られたりしたわけでもありません。
ただ空気の中に漠然とふわふわしている「こうあるべき」感。
これに支配されていた気がしますね〜。
勝手に。
(これがミソ)
「模範的」な何かになることで、自分の存在価値を測ってみたかったのかもしれません。
とにかく「誰かの、何かの」役に立ちたかったというのもある気がします。
でもそもそも、それが”無理して作った自分”なのだとしたら何も意味がないわけで。
むしろいろいろとややこしいことになってしまいますね。自分がどこにもいない状態なのだから、「漠然とした、どうしようもない孤独」を感じるのは当たり前のこと。
結果、「疲れ切った自分」「楽しくない家庭生活」という絶望(言い過ぎ?)が待っています。
少なくとも、お互いに良い関係を築こうという意欲がなくなった時、お互いへの関心がなくなった時、そのパートナーシップはもう終了です。
そしていくら終了していたとしても、そこから抜け出すのはかなり大変です。
精神的にはもちろん、特に女性の場合は名前の変更手続きとか物理的なものだけでも相当めんどい。自分が一体「何者」なのかわからなくなります。
結婚という「魔力」、確実に感じます…。
私の前回の結婚は、お互い若すぎたこともあり、「なぜ結婚するのか」ぜんぜん考えていませんでした。「ただ一緒にいたい」、それだけだったのです。結婚することで”なんとなく幸せになりそう”というような、ぼわわ〜んとした「夢」「イメージ」だけでした。(非常に若かったなぁ…)
もしも結婚という形にこだわっていなければ、そしてもっとお互いと向き合っていれば、ずっと良い関係でいられたのかもしれないと思います。
しかし、その経験があったからこそ今の私があるし、今のパートナーがいるし、今でこそ作れるパートナーシップ、結婚の形があります。
だからむしろ過去の自分や夫に感謝でもあるのですが、なにしろ当時は毎日が超絶しんどかったので、今同じ思いを抱えている人へ、”私が発信できること”は発信しておきたいな、と思います。
それで誰かに何かが届くことがあるとしたら、それってすごく有意義なことです。
そういうわけで、このブログをここまで読んでくれた人へ伝えたいこと。
のです。
ましてや結婚て、赤の他人とみっちり一緒に生活します。
「かりそめの自分」をつづけるとしたら、病気になります。
あなた本来の魅力を見つけて、それを大事にしてくれる人と結婚できたら最高ですよね。
もちろん、結婚という形をとることが絶対ではないし、一緒にいる手段はいくらでもあります。
それからもうひとつ
- パートナーとはとことんコミュニケーション取る
- パートナーのことを一番に信頼する
パートナーのことを心から信頼できないのであれば、その関係性について今一度考え直した方がいいかもしれません。
信頼できるから「パートナーになる」のです。
この順番、大事!
…以上、本日の結婚ふりかえりレポートでした。
続編あるかな、ないかな。
これまでのレポートはこちらから。